2016年9月30日金曜日

最後の投稿

理由もないのに色んなことを止める、辞める、退める速度が人よりも早かった。そして今でも平均的に早いのだが、中学生あたりからずっと続けているのはブログ更新という作業だった。元来、記録しておくのは好きだった。見返すことはあまりしないが、見返さない間にも何か構築されているような気分になるので、メモ代わりに使ったり長い長いテキストを載せてみたり、その他カテゴリを分けて自由気ままにやっていた。これがブログの思い出。記憶。あとはあんまり無い。
悲しい時は更新してなかったのに、いつの間にか誰かが見てくれていることを知ると嬉しくなって悲しい日のことも書いてみるようにした。これがインターネットにブログを公開していた記憶。動機。だが、本当に見て欲しい人には見てもらえないだろうし、見てくれている人の顔も知らない。当たり前なんだけど、当たり前ではないような気にもなる。

雨が降った。鼻にポツ、ときて、それで気付いたのだ。というような瑣末な事柄ですら大げさに引き延ばせば、そこそこ読める、”それなり”の日記になると思う。文章になるとは思う。人生はロマンティックな出来事のリフレインで、積み重ねで、そうなると信じて止まないのであれば、そんな記録ばかりが残るだろう。だが、肝心なことが隠されているようだ。

「魔法使いの弟子」という、ジョルジュ・バタイユの恋愛論をまとめた冊子がある。大変薄く、誤って棄ててしまうかもしれないくらいのもの。この中に大切なことが書いてあって、それをコクコク飲むみたいに味わったことがある。今年度の初め頃だったかな。新しめの書籍だ。
なんというか、とても悲しくなる読み物だと思う。
或る競争のスタートラインに立った時、「何もない」を抱えている人に向けてくれているような感覚がある。何にもないことが至極当然であるかのよう。
でも、そうだよねって感じ。

今日も三人くらい好い顔の人を見た。顔が好きだと思うとじっと見てしまうので、慌てて目を反らすけど。男女問わず、素敵な顔の人を見ると心が躍る。
一方で、未だに自分の容姿に不満を持っているから比較しようとしちゃう。無い物ねだり。特別なものを欲しがる方が、まだ可愛らしい。

宙を引っ掻いてみっともない姿はしばらく見せたくないな。
じゃあ、更新停止。

気が向いたら冊子でも作ろうとは思う。http://kaninooyako.jimdo.com